信天翁通信(あほうどりつうしん)9-15

ahodori tsushin

信天翁通信(あほうどりつうしん)13 大船撮影所いろいろ(その4)

小津さんと同時期にクランクインして一週間づつ付いた作品に触れておきます。

岩間鶴夫、田畠恒男、番匠義彰、野村芳太郎さんたち。

岩間さんは『恐怖の対決』(1958年)というサスペンス。助監督チーフは古賀三太郎氏。何もしないで悠々としていた。組を仕切っていたのはセカンドの篠田正浩氏。カメラマンの小杉正雄氏。この2人は篠田さんが一本立ち後、コンビを組みます。古賀さんは予告編を作るだけで、現場では悠々と無為の人だった。大船三天皇と呼ばれていた奇人の1人で、予告編を撮るだけの為にエキストラを30人ロケへ呼ぶ、そんな大胆な性格の人でした。三天皇の話はのちほど。私はこの組で始めてカチンコを打った。

「本番!」の声でしんと静かになった中で、カメラの前でシーンナンバー、カットナンバー、撮影順ナンバーをコールして打ちさっと引く。これは上がりますね。巧い人のカチンコはフィルム3コマしか写ってない、なんて伝説があったりして。慣れてくると片手で打てるようになる。だけど、この技術だけはいくら巧くなっても、人生においてなーんの意味もないですね。何の役にも立たない。

田畠さんは実に穏やかな紳士でしたが、会社に色々押し付けられて、この時は青春もののラブコメだった。この組で、初めて宿泊ロケへ行った。朝早いのが辛いけど、楽しかったですね。この頃はまだ確実に儲かっていた。テレビがなかったですから、一ヶ月に4回は必ず映画を見るなんて家族もいた。一日だけの東京ロケで前夜、必ず旅館へ泊まった。歌舞伎座の裏通りの厚生館(コウセイカン)というのが松竹の定宿。今も厚生館ビルとして残っています。

番匠義彰さん。作品は漱石の『坊っちゃん』(1958年)。坊っちゃんは東映を止めてフリーになった南原宏治(当時は伸二)。同じく日活をやめて松竹に来た杉浦直樹さんが、特出で新聞記者。マドンナ 有馬稲子さん。杉浦さんは石原裕次郎があっと言う間に主演スターになった、それで発奮して松竹へ移ったらしい。『錆びたナイフ』(1958年)で準主役のカタキ役やったあとの移籍でしたね。

この『坊っちゃん』は本来野村芳太郎さんが撮る筈だったのが、キャスティングで会社とモメて降りて、佐田啓二、高橋貞二、岡田茉莉子を連れて東北オールロケ作品に強引に出発してしまっていた。それが帰って来てセット撮影に入り、そっちへも付きました。当時まだカラー作品は現像が高くつくので、以上の4本のうち、番匠組と野村組だけがカラー。それもラッシュのときはアタマ1カットだけがカラーで焼かれ、あとはモノクロでした。編集・ダビングはそれでやった。なんせ急遽クランクイン、すぐロケへ行ったので「題未定」と台本表紙はなっていましたね。この作品はダビング・ミックスまで付きました。決まったタイトルは『モダン道中 その恋待ったなし』(1958年)。

それやこれやで仕事を覚えたわけですが、同時に私のための個人教育として田村孟さん(のちの脚本家)がずっと教えてくれた。二人で酒を飲んでた時間の方が長かったかも。田村さんはちょうどスクリプト係のシートマンになったばかりで、編集のツナギの面白さを知ったばかり。もっぱら、その面白さばかり教わってました。私は既に大学時代に関西で、制作座というアマチュア劇団に客演、そのまま入座、関西新劇大合同で関西芸術座というプロ劇団が生まれましたが、そこまで居ましたから、裏方の仕事には慣れていたのです。衣装や小道具の付帳も書けましたし。そういう意味では、わりかしすぐに役に立ったかも知れません。気持ちも楽でした。

しかし、今考えるとそれは良くない在り方です。そういう裏方仕事に屈辱や不満を抱いて早く監督になろうと決心する方が良いのですね。芝居の脚本も既に3本ぐらい書いており(上演はされなかったけれども)、本来シナリオを書くのもすぐやれそうだった。でもやらなかった。一番最初に貰った台本に、自分なりにコンテ、カット割りをやってみたけれど、あくる日の現場では丸っきり違っていてアホらしくなったり、助監督部のシナリオ集が僕たちのを載せるために出たのへ、同期の山田太一さんがとても面白い奇想ドラマを書いたのにショックを受けたり、それやこれやで書くことに気持ちが向かなかった。働けば忙しい作品ほど残業料が入る。仕事のないときは大阪の家へ帰ってもよかったし。「研究中」という札が下り、次の仕事を助監督室の監事たちが決めて呼び出されるまで自由だった。それでちゃんと月給もくれたしね。安かったです。普通の会社だと、入社したときから15,000~16,000円くれたみたいだけど、松竹は最初の一ヶ月は9,000円、そのあと12,000円。

ひとわたり組に付いたあと、初めてフォースとして1本仕事をすることになる。堀内真直監督『自殺を売った男』(1958年)。大下宇陀児(おおした うだる)原作の、ちょっと変わった題材でした。自殺志願の男が、悪事に利用されるというストーリー。主演 田村高廣、東映から移ってきたばかりの高千穂ひづる。新人 泉京子。泉京子は今でも浅草にある有名な牛鍋屋の娘で、グラマラスな姿態を買われ、大部屋から水着スターに抜擢された人。出が役者ではないという弱点がありましたが、まあこの作品ではそれがマイナスってことはなかった。素質も余り生かされず、演技の未熟さが目立つ感じではありましたが。田村高廣は役柄の模索に悩んでいた頃で、高千穂ひづるは移籍で意欲に燃えていた。この二人は熱演でした。

私個人の記憶としては、深夜、終電後の浅草駅での大ロケーションがあり、エキストラを動かす経験をいろいろしたことです。新劇やってたから、演技は自発的、方向性のみ示す、という演出方法にとまどいましたねえ。動きをつける、ってことに。あと、下田で長期ロケがあった。蓮台寺温泉というところに泊った。あとあと考えると市内には大きな旅館がなかったのね。ハリスが滞在していた了仙寺が残っていて、見学に行くと性の玩具や艶本の博物館になってて驚きましたね。エロ寺って呼ばれていた。